/シモキタ園藝部 誕生ストーリー/
東北沢~下北沢~世田谷代田の小田急線地下化にあたり、地上の線路跡地を緑いっぱいにしたいと提案した住民たちがいました。
やがて北沢PR戦略会議に「シモキタ緑部会」が結成され、その声が世田谷区や小田急電鉄に届くようになります。
区と小田急が協力して「下北線路街」を計画。そのグランドデザインを担当したランドスケープデザイン会社フォルクが、まちの緑と人々が関わり合う仕組みを提案しました。
この仕組みに共感した人々が、緑を通じて得意なことを持ち寄り、シモキタ園藝部が生まれました。